母親の友人の旦那が糞ヤローなんだけど
自分の家族であるわけでもないのに
話聞いてるだけでわりと辛くなってくる。
今、弱ってるからそういう風になるのか
単に年をとって涙もろくなるのの亜種なのか判断つきかねるので
保留。
母親の友人の旦那が糞ヤローなんだけど
自分の家族であるわけでもないのに
話聞いてるだけでわりと辛くなってくる。
今、弱ってるからそういう風になるのか
単に年をとって涙もろくなるのの亜種なのか判断つきかねるので
保留。
1.
2.
↑photoshopのレイヤースタイル発光・黒。
これを真っ白くしてクリッピングの土台にする
3.
↑太くしたいところに塗る
4.
元の線画と重ねるとこんな感じ
5.
3.を2.にクリッピングするとこうなるから、
6.
二値レイヤーにして、透明度を良い感じにいじって
7.
元の線画(こっちも二値化した)と結合する
8.↓びふぉー あふたー


悪くはないかな。3.をもっと丁寧にやればクオリティ上がるはず
まあ普通に手で描いたほうが早いけどね!
***おまけ**********************************
参考:【実験】影色決めるのがめんどくさいから自動化したい - riotoqll's diary
←ベタ塗り
別に何色でもいいんだけど、
緑→ハイライト 青→影
腕短い?小さい?ってここら辺で気づく。。。
トーンカーブ適用して目は手作業で塗って線画の色調整して
OLMsmootherで二値ギザギザをぬるっとさせて、おわり

ギャルゲ塗りっぽくなっちゃってショック。
腕のツヤいらんかった!
512*384(4:3)
640*360(16:9)
864*486(16:9)
1024*576(16:9)
1280*720(16:9)
影色決めるのにトライアンドエラーで時間かかるから嫌だなあ自動化したいなあと前々から思っていた。
先日トーンカーブがRGB別にいじれると知ったのでこれなら可能なのではとチャレンジ。
複製したベースから切り出す形で影とハイライトを確保しておいて...
(わかりやすくするため主線も表示。実際はナシ)

良い感じに調整。瞳は多分めんどくさいことになるから先に塗っといた。


トーンカーブのパターンをそれぞれ、影用とハイライト用のプリセットとして保存しておく。
レイヤー結合したものがこちら

まあまあじゃね!?
しかし茶系が多すぎる。ここでもうちょっと色が多い絵をつかってカーブ編集するといいかもしれない。
→違う配色のキャラに適用しても一括で影色作れるかな?

カーブ編集がザックリすぎたせいで所々イマイチだけど想像より良い結果に。急いでる時ならこれで通せるレベル
基本これで影色作ってからどうしても気に入らない部分だけ手直しすると効率いいんじゃないかな。
アニメ作るときもAEでうまいことすれば一枚一枚トーンカーブ適用しなくていいから楽かもしれない。かも。
最近「頑張ってる人に頑張れと言わないほうが良い」みたいなのが流行ってる気がする。鬱病の人への対応から派生して、健康な人にも適用されつつあるような…そんな流れを感じる。
自分で「頑張るぞ…」と言う時、それは何を指すのかと考えると
・努力すること、努力により高みを目指すこと
・痛みや苦痛を我慢すること
あたりが思い浮かぶ。
我慢が付随しない努力ってあるのか?無い気がする。とすると、「頑張る」には必ず「我慢」が含まれるのではないか。そういう解釈なら、言われた側はちょっと辛いな。
でも言う側からすると、それは違うだろう。「頑張れ」=「我慢しろ」が成り立つ時とそうじゃない時がある。例えば、ファンが歌手に「いつも曲聴いてます!頑張ってください!」と言う場合。「我慢しろ!」の意味が含まれているはずがない。ここは「成功とかなんとか、とにかくあなたの音楽活動にとって良いことが起こりますようにって思っています。そしてそれを陰ながら見守っています。」くらいの意味だろう。
言う側にとって、実は「頑張れ」とは「あなたの頑張りが報われて良い結果が出せることを願う」という意味を持つケースが多いように感じる。(勿論違うこともある。)ここで、言われる側が「頑張れ」=「あなたが頑張ることを願う」だと認識してしまった場合、「頑張ってるのにもっと頑張れと言われた…」というガッカリ感が生じるのではないか。どっちが悪いとかじゃなくて、日本語のシステム上起こりやすい解釈ミス…って感じだろうか…
そういえば英語に「頑張れ」という言葉はないな。いや、近いものはあるんだけどドンピシャ同じ使い方が出来る言葉はなかったはず。「よろしく」もそうだ。
日本語って曖昧な使い方できて便利だなあと思うけど、曖昧なものを曖昧なまま使ってるからボタンの掛け違えみたいなことが起こるのかもしれない。言葉で分類してないものは認識もできないと言うし。
「水色」という言葉がない民族に水色を見せても黄緑と見分けがつかないっていうの、この間TVで見たわ。「頑張れ」に様々な色が含まれていても、それら全てをひとつの「頑張れ」として使っていたならば、明らかに違う色が紛れ込んでいてもきっと日本語圏の人には分からない。そういうことなのだろうか。
(ちょっとググった。これは言語相対論の「弱い仮説」の方に当てはまるみたいだ)