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riotoqll's diary

基本的に外部記憶として使います。自分用。 人に見せる用のブログはこちら→http://d.hatena.ne.jp/riotoqll8107/

思考メモ

認知症が進行してゆく身内を見ていて、「自分は本来こうである」と想像する人物像が、実際にその人本来の人格であるということで良いんだろうなと思った。

元気な自分を覚えていてほしいから延命治療しないで安楽死希望するという人が居たけど、確かにいくら昔元気でも周りの人は直近の様子が強く印象に残るだろうし。

例えば自分の理性が少しイカれてしまったとしても、マトモでありたいと願うだろうしマトモなフリを一生懸命するだろう。酒による酩酊と認知症精神疾患は似ている。脳の細々としたシステムの問題だから。

怪我などの物理的負傷で体のコントロールがきかないのと、脳内回路の不備不調で精神のコントロールがきかないのは同じことだと思う。

例えば記憶をそのままに、子供時代からやり直せるとして、記憶だけは大人のままで子供の体を手に入れたとして、脳も若返ったとしたら(脳が若返ったら記憶もなくなる設定でないとおかしいんだけど)理性の強さや衝動を抑える能力は子供レベルに戻ってしまうわけで、例えば「長い目で考えたら揉め事を起こさない方が良い」と知識で分かっていても怒りを止められないという事態になると思うんだ。そうなると、分かっているのに出来ないということによる大きなストレスがかかる。

小学生の頃、あまりに努力が苦手だったので 「生まれてそんなに経ってないのにここまで精神力(忍耐力)に差があるということは、これは生まれつきの問題で、心構え程度でそれが向上するはずがない。ただの子供に頑張れ頑張れと闇雲に努力を強制することは、種をいきなり撒くのと同じだ。まずはそれなりの環境で苗くらいのサイズに育ててから外に移さないとダメなんじゃないのか。というか、努力が好きな生物なんてそうそういないんだから楽しく努力させる手法や教材が確立されているべきじゃないのか?私が生まれてくるまでに存在した大人たちは何をチンタラやっていたんだ?馬鹿なのか?」と思っていた ことを思い出す。
その時私は、人間に精神力というものは本来は無いのだと思った。というか精神という概念自体が幻であるのだと思った。無いものを有ると思うことでストーリーを作りスムーズに生きられる。そのためのファンタジーな存在なんだ。

 

 

高校の頃はブログにこんな記事ばかりpostしていた。久しぶりに人に分からせる気のないテキストを書いた。たまには書いておかないと、いつ何を考えていたのか忘れてしまうから。