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riotoqll's diary

基本的に外部記憶として使います。自分用。 人に見せる用のブログはこちら→http://d.hatena.ne.jp/riotoqll8107/

【再録】メンヘラ体験記 -2011' 09/17

はてなダイアリのは消してこっちに移動します。単なる転載です。

 

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「コイツいつのまにTD復帰したんだ?」って話の流れで、そもそもなんで一時活動停止してたのかとか、メンヘラ体験して面白かった(interestingのほう)話とか、今の自分は元気だけど所々100パーじゃないって件についてとか。

【この記事を書く理由】
 ●twitterでは鬱病公言したりしてるけどほぼ完治してるし他の疾患も混ざってる気がして説明しないと誤解されそう
 ●まだ元気になれてないメンヘラの人に迷惑かけたくない
 ●「へー!実際はこうなるんだ!(自分が)」みたいな面白い部分がかなりあったのでただ単に話して回りたい

とても長いので、興味ある方は”続きを読む”からどうぞ
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※時系列順に書きます。理由があって「メンヘラ」という表現を使っています。

1.研究生活開始(長いので読み飛ばしていい)
 他の大学も似たようなものだと思うが、私たち理系は4年次から授業はなく、研究室に配属される。小学生の頃の私に言ったら「すげー!かっこいー!」と言うんじゃないだろうか。でも全然そんなことはなかった。映画なんかで見るような研究はもっと派手で、こう・・・とりあえず爆発したり、いろんな色の液体がユラユラしてるものだったのに。実際は、透明な液体と黄色い粉を混ぜて溶かして温めたら新しい粉ができるよーというもんだった(あくまで私の実験では)。できあがるのは毎回違う物質なんだけど、見た目は同じただの白い粉。これを午前中から夜9時まで繰り返す毎日を送っていた。
 勿論、実験というのはそんなもんだし、そういう地味な作業をたくさんこなして初めて結果が得られるのは当たり前。それだけなら何の問題もなかったかもしれない。研究室生活で一番しんどかったのは、意外にも、友達がいなかったこと。私と同じ学年で研究室に配属されたのは5人。そのうち4人は男だった。
 別にこの4人とは仲が悪かったわけじゃない。ただ単に用がないので喋らなかっただけ。男子同士で仲がいいと入っていけないんだ。談笑くらいはしたことあるよ!でも、普段はそんなに喋らない。チキンだから自分からは話しかけなかった。話しかけられることもそんなになかった。
 4人よりもっと問題だったのが研究室の雰囲気。決して悪くはない。全然悪くないんだけど、良くもない。しんどかったのが、挨拶しても、返してくれない人が多いこと。器具を使うため部屋のカギを受け渡しするとき「宜しくお願いします」と言っても無言で通す。多いと言っても3~4人くらいだったと思うが、1人居るだけでも衝撃だったのですっかり怖くなってしまった。どうせ虚しくなるだけだし、ずっと黙っていようと思った。他にも、そこまでぶっ飛んではいないが人としてどうなの、と思うようなことをする人がいてかなりショックを受けた。とにかく研究室全体の雰囲気が冷めていた。ドライだったというべきか。
 別にいじめられたわけでもないので、こんな研究室が嫌だなんて思うのは贅沢だ。我慢が足りない、と思っていた。実際、他の研究室の子からは「教授がパワハラしてくる・実験させてくれない」「忙しすぎて全員鼻血が出た」「同学年の子に無視されてる」などと凄まじい話をよく聞いたし、「研究室に行きたくなくてホームで電車を何本も見送ってしまった」、みたいな子もちょいちょいいたので、それと比べたら私はまだ全然良いほうだなと考えていた。何が普通なんだかよく分からなくなっていた。まあそんなかんじでだんだん寝坊や登校拒否(この年でw)が増えていった。
 
1.5 実験器具を壊しまくった私(長いので読み飛ばしていい)
 人間関係に加えて負担になっていたのが、自分の要領の悪さだった。とにかくフラスコなどを割りまくった。わざとじゃないんだけどさ。もとからアバウトな性格だったのに加えて、下記の理由でものすごく混乱したわけだ。
 私がやっていた「粉1と液をあっためて粉2を作る」実験を簡単に説明する。
 あっためることで「粉1」が「粉2」に変身するのでその変身に必要な時間を調査せよ、というものだ。ところがその変身時間とやらが、粉の種類でバラバラすぎる。短いので30秒、長いので数10時間かな。さらに、「液」の種類が違うとさらに変わってくる。重要なのが「粉2をあっためすぎると自爆する場合がある」ということ。熱によって「粉2」のカラダがバラバラになってしまう。こうなるとこの実験データは全く使えないものになる。従って、1時間おきに「変身が終わったかどうか」確認する作業をしなければいけない。ちなみにこの検査方法は「TLC」というもので、説明は省くがまあとにかく、数分間目が離せないのだ。この実験は基本的に、「粉」3種類で同時に行う。フラスコを3つ用意しておいて、それぞれを別々にあたためて…まあ簡単にいえば、Skypeで3窓してるようなもんだ。さらにさらに、「粉2」→「粉3」で同じ事をもう一回する場合がほとんど。つまり何が言いたいかというと…頭がパーン状態!ってこと!\(^o^)/
 …と、いかにも大変そうに書いたが、普通の人はキチンとこなしているのでどうやら自分の根性が足りないらしいと考えていた。
(※今年に入ってから病院で検査してもらい、実は「普通の人とは脳のバランスが違う」から実験に向いていなかったのだと告げられた)
 教授に「どうしてそんなに壊すの?」と言われて勝手にマジ凹みしたり、これも結構ダメージになってたかもなあ…


2.メンヘラ発覚
そのうち体の調子がおかしくなりはじめた。
 ・1日15時間寝たりする
 ・今までの2倍くらい物を食べる
 ・ちょっとしたことでスイッチが入り落ち込んだり泣いたりする(人前で泣くのは本来苦手なんだが…)
 ・ものすごいダルさで体が動かない(トイレに行くのも大変だったり)
ついに親に病院に連れていかれ、診断されたは「非定型うつ病」。非定型・・・?なんじゃそら、と思ったが、こういうことらしい。

【参考】→マンガで分かる心療内科・精神科in新宿 第30回「うつは甘え?~非定型うつ病・新型うつ病」 
簡単に言うと「好きな事は普通にできるけど嫌なことになると急に具合が悪くなるうつ病」。
「ええ…それって単なる甘えじゃ…」と、患った本人が訝しむほどのトンデモっぷり!いや、でも、マジなんだこれが… 確かに私は元からやる気のない性格だったし、「あーサボりてえな」と思ったことはいくらでもあるけど指先1つ動かすのも気合が要るという謎のダルさ「鉛様疲労感」、これを経験したらこの病気が嘘とは言えない。

そんなこんなで診断書を貰い、晴れて大学院退学となったのだった。大学は卒業できた。教授と助教授がおおめに見てくれたんだと思う。


3.寝ている時以外常に焦っている状態
 実家に帰ると、大学から物理的距離をとったせいもありなんだかホッとした。登校拒否による罪悪感から解放された感じ。といっても急に心のガードを全解除できる訳もなく、ビビリながらの生活を送ることになる。
院に進むつもりでいたので就職活動なんてしていない。でも院はやめてしまった。調べてみるとこれは「既卒」であって「第二新卒」ではないらしい。調べれば調べるほど憂鬱になった。そもそも「既卒」の人は募集してませんって会社が殆どなのだ。不景気だしね。仕方ないんだけど。
人と話しているときも、2ch見てる時も、DVD見てる時も、ペットと遊んでいる時も、常に何かに追われ、急き立てられているような感覚があった。起きている時はいつも。眠っているときが一番楽だった。人間と喋るとかなり消耗した。動物は屈託がなくて、少し癒された。ミスター・インクレディブルを見た時は辛うじて楽しめた。
ちょっとしたセリフを拡大解釈して泣きわめいたことも何度もあり…親には本当に迷惑かけまた。あとから聞いたら、「子供の頃あんたは必ず人から隠れて泣いてたから、こんなに堂々と泣くなんてほんとに病気なんだなって思ったよ」だそうです。確かに人前で泣くなんてプライドが許さないよね。普通の状態なら。
 

4.そして焦りから専門学校に通う
 「今はゆっくり休みなさい」と言われても、こまるのだ。好きなようにダラダラ過ごすなんて、自分がダメな奴だってのを再確認する作業のようで、それはそれで辛いのだ。とにかく何かに所属すれば、この不安定な気持ちを払拭できるかも知れないと思い、専門学校に通わせてもらう。だがこれが仇となる。今から考えると時期が早かったとしか。焦って何かをするのは逆効果なんだなと思う。
 授業にまったく集中できない。そのくらいの根性は持っていると思っていたが、気がつくと頭がボーっとしている。さらに、授業中に眠る。自分ってダメなやつだと痛感する。以下、ループ。悪循環である。
 後から、東京の医者からもらった薬が眠くなるもんばっかりだったと知る。薬の名前くらい最初に調べれば良かった。2chにも「めっちゃ眠い」ってたくさん書いてあった。今は、新しい薬もらったらすぐググってる。

 あ、そういや、授業中に臓器移植の話題が出て、急に「自分の親が死んで臓器移植がどうこうの話になったらどうしよう」という妄想にとりつかれ涙が止まらなくなったことも。明らかに病気である。止めたくても止められない不思議。脳内物質に翻弄されている。


5.なぜか電車に乗れない
 もとから心配性なのもあり、専門学校に通うにあたり色んなことが気になるようになる。「この人達私のことアホだと思ってるのかな」「授業で寝まくってたから印象悪いだろうな」「忘れ物したらどうしよう」「抜き打ちテストがあったらどうしよう」などなど。
そのうち「授業中に突然外に出たくなったらどうしよう!」と思うようになる。え、出ればいいんじゃね?と思われるかもしれないが、人の目が気になるのでそんな大それた事はできないのだ。この「衝動的に脱走したくなる」のがいつ起こるか心配で、早退やサボリを繰り返すようになる。健康な人からすると意味不明な論理である。
 当然電車にも乗れなくなった。「衝動的脱走」ができないからだ。山手線ならまだしも、田舎の電車は次の駅まで10分以上かかるのがザラにあるのでますます辛い。それに加え、高校生だ。その電車には高校生が大量に乗ってくるのだ。あの若さが嫌だった。別に「あの頃に戻りたい羨ましい」とかそういう気持ちではなく、あの高い声とか、はしゃぐ姿とかが、エネルギッシュすぎてカロリーオーバーなのだ。見ているだけで疲れてしまった。静かなところで暮らしたいと思った。
 この頃の症状を調べると非定形うつ病ではなく、「パニック障害」に行き着く。なぜかは分からない。でもどの本を読んでもこの病気にピッタリ当てはまるのだ。勿論、本物のパニック障害の人ほど酷くはないのだけど。

6.とにかくダルかった寝たきり生活
 ここで親は私に忍耐を求めた。「非定形うつ病」は「規則正しい生活」や「多少無理しても仕事などには行く」(※仕事がうつの原因の場合は別だと思う)方が良いというのが定説であり、パニック障害の治療法もまた「どうにか頑張って少しずつ慣れていく」のがメジャーな考えだった。我慢して電車に乗りなさいということだ。私も理屈ではそうするべきと思ったのだけど、現場に行くとどうしても足が動かない。
 病状は悪化し、ついにほとんど寝たきりの様になってしまった。ここらへんは(多分寝てたから)あんまり記憶がないのだが、ご飯とトイレ以外は寝てたと思う。ネットもしてなかったんじゃないかな。本当によく覚えていない。母に言わせると、この時の私は「非定型じゃない方のうつ病に見えた」らしい。どういうことだろう。
 そういえばこの頃は梅雨だった。梅雨メンヘラには辛い時期らしい。後述のお医者さんが言ってたよ。
 

7.新しいお医者さん
 あまりにも動かないので心配になった親は、私を地元の心療内科に連れていった。正直身体がだるかったので行きたくもなかったが、なんとかたどり着いた。病院の階段をなかなか登れなくてグッタリしたのを覚えている。(精神疾患って気持ちが沈むだけだと思ってたけど、自分の場合カラダの不具合のほうが多かった。)
 結論から言うと、とても良い病院だった。初診がどんなものだったのかはこれまた記憶が曖昧だ。1つだけ覚えているのは、「この(東京の病院でもらった)薬の出し方は、『一日中寝とけ』っていう組み合わせですね。」と言われたこと。マジかよ。そんな説明は東京のAクリニックでは全然聞いていない。方針の違いだろうか… S先生は薬一つ一つの役割を簡単に教えてくれた。こちらから聞けば教えてくれるとかそんな消極的な態度ではなく。かといってAクリニックを落とす訳ではない。「あちらの先生はこれこれこういう考え方だったんでしょうね」と解説する。田舎の精神科なんてたかが知れてるという偏見があったけど、これはもしかするとアタリなんじゃないか。そう思った。今でも全部解説してくれる。「これは本来暴れる人を落ち着かせるために出す薬なんですけど、ごく少量ならほどよくリラックスできるので不眠症の治療にも使われるんです。」とか。
 他にも色々とメンヘル情報を教えてくれるので助かります。うつ病患者が具合悪くなる月(なんか4つくらいあった気がする)とか、なんか色々聞いたけど…忘れちゃったなw


8.薬の力はすごい
 いきなり薬の量を動かすってのは危険らしい。S先生は、今処方されてるものから1つ引いてみて、数週間経って大丈夫だったらそのまま行く、ダメだったらまた飲むようにする。増薬・減薬をする場合も同様。この繰り返し。これだけで「ああ、パッと治るものじゃないんだな」と分かって頂けるかと思う。(私なんか当事者なのに「1ヶ月もあれば治るぜ!」と思っていた。既に1年以上経ってます…w)
 とりあえずそのやたら眠くなる薬を排除できたところで、「ちょっとこっち試してみましょうか」と出された新しい薬。(新薬って意味ではない。)ググったら、うつ病界隈ではメジャーで典型的な薬みたい。最初は1錠飲んだけど効かなかった。しばらくして、1日2錠に増やした。そこから数週間でものすごい元気になった。衝撃である。流石に全快するわけではないが、「調子がいい時なら普通の人にしか見えない」レベル。薬が合う合わないでこんなに違うのか…
感心すると同時に、「この薬を処方されなかったらいつまでも寝たきりだったんだろうか」、と少しゾッとした。薬を選ぶのはお医者さんなわけで、お医者さんの考えが違うと薬が違うわけで…
 「この薬最高だな!副作用もないしマジ偉大!!」と思ってググったら、同じ薬飲んでるのに「副作用しかでねーよ!!ヽ(`Д´)ノウワァァン 」という人もいて、難しいもんなんだな…と。もうちょっと研究が進んで、薬と患者のマッチングがスムーズになるといいですね。手当たり次第試すのは時間がかかりすぎる。

8.5友達から聞いた「ダメな病院」
 私のいた大学でお悩み相談室みたいなところに頼むと紹介してくれる病院が、ハズレらしい。おいぃ…
 毎回「あ、その薬どうだった?効果なかった?じゃ、次これね!」の繰り返しだとか。数年通っても良くならない、とか…
 又聞きなんでアレですけど、数年単位で無駄になっちゃうのって勿体無いですよね。辛いし。できるだけいい病院を見つけてほしいです。


9.頑張るのを我慢するということ
 自分にあった薬飲んでるとね、体調MAXの時はマジで元気なんですよ。というか、効きすぎてる時もあるんでしょうけど。(S先生は「躁転(元気が出すぎてハイになること)には気を付けないといけない」「増薬は慎重に」という考え方だったので、躁転ではないと思う。)MAXな時調子にのって「よーし今日は大掃除しちゃうぞー☆」ってのは死亡フラグです。その日はいいですけど、次の日から寝込みます。私はこれを何度もやっちゃってます。こういう「がんばるぞー☆」を我慢出来る人のほうが、治りが早いのかもしれませんね。
 脳内物質のバランスが崩れているところに薬で一時的に安定をもたらしているのだとおもうので、ちょっと無茶しただけでバランスがグラグラしちゃうんじゃないかなあ。(医学的根拠はありません。ただの感です。)
個人的には、メンヘル治療は「水に板を浮かべてその上を歩く」様なもんだと思います。分かりづらいですね><;ちょっといつもと違うことするだけで、グラグラしちゃうし最悪の場合ひっくり返ってしまう。 ということ。健康な人は土台が水じゃなくて砂なんでしょうねー。多少動くけどあんまりグラグラしない。


10.減薬の段階へ
 私は大体安定してきたので、今は減薬のフェーズに入ってます。S先生曰く、「ここから後半戦ですよ!」。え、まだ半分だったのかよ…w 今は行動認知療法もやってますー。カウンセリングみたいなやつですかね。何気に薬と同じくらいの効果があるらしいデスヨ。不思議ね。


11.今の精神状態
 いつもは元気。超元気。自分でももう治ったと錯覚するくらい元気です。でも、ほんのちょっとのことでスイッチがOFFになって寝込んだりします。でもそれもだんだん良くなってきてますね。自分にできることはきちんと薬を飲み続けることだけです。あとの時間はまあ、好きなことしてます。NEETですねw 無理して働いてもきっとまた逆戻りだと思うので、もうしばらくゆっくりしようと思います。これを「戦略的無職」といいます。嘘です。
NEETです☆」と言える程度には良くなってきているので先は明るいと思います。


12.病名はあまり重要じゃない
 つまり私は非定形うつ病うつ病パニック障害を全部混ぜて薄めたような状態にあったということです。でも、病名にこだわるのって無意味なのかも知れません。最近気づいたんですが、S先生は「あなたは○○病ですね」と言ったことは一度もありません。「前の先生によると非定形うつ病、ということでしたね。」くらいです。あとは、私が訴えた症状を聞いて薬を決めてるだけです。
 確かに脳内物質のコントロールがうまくいかないってのが共通点だから、複数の精神疾患が誘爆のようなカタチで出てくるのは 不思議でもなんでもないなと。(何度も言いますが私の想像であって医学的根拠はありませんw)


13.さいごに
 メンヘラになって分かったことは、脳内物質の量で人間の性格はコロッと変わるってことです。びっくりするよ。物凄く感動・号泣した映画を、数カ月後に借りてきて見ても「あれ?なんで感動したんだ?おかしいな…」と思うようなこと、また、その逆が何度もありました。脳がまだ不安定だから得られる感情が毎回違うのかなって、思ってます。医学的根拠は(ry